体罰問題 〜日本帝国陸・海軍の悪しき風習の残存〜

 大阪市立桜宮高2年のバスケットボール部主将の男子生徒(17)が、顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた後の12月23日に自殺した問題に始まり、その後、全国で体罰問題が次々に明らかにされ、直近では柔道女子日本代表の園田監督やコーチが、選手に暴力やパワーハラスメント行為をしていたことを15人の女子選手が日本オリンピック委員会に告発する問題が出てきた。

 これらの問題に対して、問題を起こした張本人の管理・監督者である大阪市教育委員会や全日本柔道連盟は、体罰と自殺との因果関係は明確でない、といって顧問教諭をかばったり、当人は反省していると言って即座に監督続投を発表した。これらの問題に対して、マスコミや知識人と言われる人達が様々なことを発言しているが、私には上面の議論にしか感じられない。私はこれらの本質は戦前の日本帝国陸・海軍時代から続く日本の悪しき風習が現在まで続いているのだと感じている。

 帝国陸・海軍の悪しき風習とは何か?幾つかをいかにまとめる。
 @日常的な暴力
    軍隊内での暴力が日常的に行われていたことは、今更説明するまでもないだろう。海軍の工藤俊作は、艦内での鉄拳制裁を厳禁したとか、同じく海軍の谷口尚真が海軍兵学校における生徒の鉄拳制裁を禁止したという話が残るくらいこれらは珍しいことであった。私の父はラバウルだったか、南洋の島に送られ、毎日病気で死んでいく戦友を看取り、マラリアに罹って体重が30kgまで落ちて日本に帰って来た話をしていた。軍隊では日常的に暴力を振るわれ、班の所有物が足りない時には別の班から盗んでくるようメチャクチャなことを教育されたと話していた。叩かれることを恐れていてはやっていけない組織であったようだ。そういう意味では現在問題になっている高校や女子柔道と同じである。日本に帰ってきて憲兵になって、福岡市付近を見回っていた時に長髪?の為か理由は忘れたが、九大の学生を捕まえて竹刀が折れるまで叩き上げた話もしていた。自慢話ではなく、そんな出鱈目なことが自分も含めて日常的に行われていたという反省が強かったと思う。
 A庇い合いの風習
    陸海軍トップの悪しき風習の一つが、庇い合いである。どんな間違いを犯しても責任を問うということをしない。トップ仲間内で庇い合うのである。兵隊の下っ端には容赦なく責任を取らせるくせにトップ同士では責任を問わずに庇い合う。実例はいくらでもある。服部卓四郎、辻政信、牟田口廉也など。興味があったら調べたらよい。そういう意味ではアメリカ軍は厳しい。TOPとして失敗を犯したり、無能だと判断されると即座に首を挿げ替えられる。旧日本軍など問題にならない位アメリカはそういう点は厳しい。良いか悪いかは別にして、戦後も日本は企業同士が談合したり、護送船団方式と言ってみんな仲良くをモットウにしていたが、アメリカは良いものは良い、悪いものは悪い、と合理的に判断する理性を有していた。だから京セラやソニーなど戦後立ち上げられた有名な企業は最初にアメリカで実力を示したのである。庇い合うということは、悪いことを悪いと改める能力や風土が無いということである。
 B真実を直視せず、改めることができない体質
    戦争でも会社の経営でも何でもそうであるが、敵を知り、己を知る。これがベースであり、最も大切なことである。しかし、太平洋戦争中、日本軍は真実を直視することなく、大本営のデマを流し続けた。それによって国民だけでなく、軍隊内部も政府関係者も天皇陛下も欺いた。真実を直視すれば、自分達が責任を取らねばならなくなるという自己保身の気持ちも十分働いていただろう。そもそも旧帝国陸海軍の指導者たちは、部下を何千人、何万人無駄死にさせても何とも思わないが、自分達が責任を取るのは嫌だという卑怯者ばかりだったから、真実を直視できなかったのだろう。真実を直視できなければ、改善・改革もできないのは当たり前である。

 さて、これら帝国陸・海軍の出鱈目な指導者達は戦後どこに行ったのか政治家になり、経営者になり、企業の幹部になり、自衛隊の幹部になり、現在の日本にこれら悪習を存続させたのである。

 元々、日本は世界で最も子供が生き生きとしている国だと南蛮人たちが報告している。日本では子供を甘やかしこそすれ、体罰と言うものは無かった南蛮人がなぜ日本人は子供を鞭打たないのかと驚いているのである。

 体罰が導入されたのは、明治政府になって富国強兵を進める過程であろう。学校で軍隊で。

 体罰の問題では常に管理者が、体罰した人間を庇い、擁護する。世論がどう動いて、世界がどこに進んでいるのかを直視できない硬直した頭。正に帝国陸・海軍と同じ体質なのである。

 1月12日付朝日新聞に『体罰 恥ずべき、ひきょうな行為』と題して桑田真澄氏が体罰について語った記事が載っている。「私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。・・・・・殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。・・・・・私は、体罰は必要ないと考えています。・・・・・・監督が采配ミスをして選手に殴られますか?スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。・・・・・今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。・・・・・・殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。「愛情の表れなら殴ってもよい」という人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。・・・・・・・」

 私は野球に全く興味が無いので桑田氏のこともあまり知らなかったが、苦しい思い出も含めて良く語ってくれたと思う。体罰は人の心に一生の傷を与えるのである。

(2013年2月4日 記)

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